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特別企画・ペンの暴力団

1998年2月18日

「新潮45」 〜 ペンの暴力団 〜

2月18日発売の「新潮45」(3月号=新潮社)に、先月の堺市での通り魔事件で家裁送致になった少年の本名と顔写真が掲載された。
「タブーを排し『事件』の深い取材と分析をすべきだ」
「まれにみる残虐非道な犯罪であることに加え、匿名化によって事件の本質が隠されてしまったことや、 少年法が著しく現実と乖離していることへの問題提起の意味もあって」(石井昂・編集長)(略記)
などを掲載の大義名分としているらしい。

新潮社と言えば、神戸の事件でも容疑少年に対して「リンチ」(私刑)をしたシンジケート(Syndicate)だ。(フォーカス事件)
主張せんとする内容はともかくとして、手段を選ばない主張方法はまさに「ペンの暴力」だと言える。

少年法については前回書いたので今回は書かない。
神戸関係の「ひとりごと」(前回)

今回は全マスメディアの姿勢についての雑感を書く。

すでに、18日付の毎日新聞23面「深層」(大阪13版)に神戸の事件での被害者となった山下彩花ちゃんの母親も語っているが、 本当に少年法が時代遅れだと主張し改善が必要だとするのなら、出版社は顔写真や実名を掲載するよりも、 少年法を見直す「キャンペーン」をやるべきだったと思う。 それが法治国家における筋というものではないか。
今回のように勝手な信念に基づいて勝手な大義名分で違法行為が許されるなら、 勝手な思いこみや信念で犯罪を犯す少年たちと同じ次元だと言わざるを得ない。 出版社を始めとしたマスコミなど(特に週刊誌)はむしろ、 普段から偉そうに我こそが社会常識の基準だと言わんばかりに他者の非を興味本位に取り上げている分、 悪質で卑怯だ。
少年法を批判している輩(記者)は、どの程度少年法について調べたのか。
犯罪白書もまともには読んでいないのではないだろうか。
おそらく己に都合のいいように発言する、 いわゆる「有識者」の発言を盾に売り上げと注目を集めることを第一にやっているのではないだろうか。 それとも何らかの政治的意図があるのか...
いずれも非常に狭い視野での見方を載せているように見受けられる。

世の中にあふれる情報は必ず情報の発信者にとって都合のいいように「バイアス」(bias)がかけられている。
僕は、とある本の原稿を何年か書いてきたが、ほとんどの場合編集部がおもしろおかしく手を加える。
たとえば、「公衆電話の電話番号解読」に関する原稿では、 僕が実際には奈良県の全ての電話帳を集めただけだったにもかかわらず、 全国の電話帳全てを集めて部屋が電話帳で埋まったことにされた。
社会的にある程度の評価を持っているとされる新聞社も例外ではない。
某地方自治体が催した「平和展」の取材に際して、 入場者がなかったにもかかわらず、 近くを歩いていた若者を集めて会場に入れ写真を撮り、 翌日の紙面では「〜若者らが熱心に見入っていた〜」(略記)と報じた。
報じていることは正しいとしてもその取材の視点が偏っているものは非常に多い。

マスメディアは常にバイアスのかかった報道をしてくるものだとして、 そのバイアスを見抜くことが情報を受けるものにっとって欠かせないのではないだろうか。
まさに、「金八流」に言えば「物事を静止した状態でとらえてはならない」(1979年金八@)と言うのにふさわしい状態だ。
そしてそのバイアスを見抜く確かな目を持つことが洗脳的戦略的情報を受ける側にっとっての唯一の防衛手段ではないだろうか。
強いバイアスのかかった報道として世間を騒がせた記憶に新しいものとして、 読売グループの「憲法改正試案」が思い出される。
まさに、新聞社の仮面をかぶった圧力団体「読売」が本性を出してしまった出来事だったととらえている。
政党新聞もまたものすごいバイアスがかかかっている。
僕のこの文章も少なからずバイアスをかけているつもりだ...
最後に、
我こそが常識の基準だとするシンジケートやいわゆる「有識者」は、 しきりに「殺された側」の感情を前面に押し出してくるが、 その「殺された側」の親族の、事件から時間が経過した現在の心境は、 「〜当時は世間に知らしめ社会的な制裁を受けてもいいと思ったが、日が経つにつれ少年の将来を思い、『法は法として守るべきだ』と思うようになった〜」(略記) というものになっている。
これこそが、人間の本質ではないだろうか。
時代遅れだとされている少年法の精神は実は世界でもまれなほど先進的なものなのだ...
(source)

参考資料・・・毎日新聞(1998年2月18日朝刊/大阪13版・23面)「深層」

1998年2月20日(13:00)

民主主義をもてあそぶシンジケートたち 〜 ペンの暴力団2 〜

20日付け毎日新聞朝刊29面「心想」(大阪13版)によると、 神戸の連続殺傷事件での審判の「検事調書」が不正に流出し、 「文芸春秋」3月号(文芸春秋社)に掲載された問題で、 「文芸春秋」3月号の発売中止を申し入れた神戸家裁に対して文芸春秋社が、 「当事者の申し立てもないのに裁判所が恣意的に出版物の事前差し止めをすることは、 言論・出版・表現の自由を制約し憲法に違反する疑いがある」 との公開質問状を神戸家裁所長と最高裁家庭局長あてに送付した。

「法的根拠」がどうなのかは法学徒であるにもかかわらず分からないが、 少年法の精神から少年の将来のために断腸の思いで、 その「根拠のない」とされる神戸家裁の申し入れが行われたと思う。 当然、シンジケートらよりははるかに法律に明るい裁判所の職員がとった行動なので、 「法的根拠」がなかった と し て も それは充分承知の上だったと思う。
神戸家裁のその「根拠のない」とされる申し入れは、 近代民主国家としてはふさわしい行為ではなかったのだろうか。

週刊誌を通じて国民の意識を変化させようとするシンジケートは、 政治やお役所を批判するときは、「規則一点張り」とか「縦割り行政」だとかあらゆる手口で批判してくる。
確かにその通りかもしれない。大いに改めてもらいたいところだ。

今回の裁判所による「申し入れ」がもし「法的根拠」がないにしても、 人権を重視して臨機応変に「規則一点張り」から脱却したととるなら、 奴らシンジケートが今まで主張していたことが実現したわけだからむしろ評価してしかるべきではないのか・・・と思う。
また、調書は「検事調書」だけではない。一方的な報道だ。(こういうのが洗脳的戦略的報道だ)

要するに奴らシンジケートは国民をいたずらにあおり立て、 洗脳し、自ら民主主義を、言論の自由をいたずらにもてあそび、 注目を集めるだけの無意味な集団な訳だ。

しかし、奴らシンジケートが「言論の自由」を「無法地帯化の容認」と解釈している以上、 必ず自らその「言論の自由」を閉ざすことになる。
このように民主社会をもてあそぶシンジケートの存在はむしろ民主社会にとっては脅威になるのではないだろうか。
今のうち(言論が自由なうちに)に良識と人権感覚を持った他のマスメディアによって、 このようなシンジケートは暴論ではあるが、破壊しておいた方がいいとさえ感じる。
洗脳的戦略的情報を受ける可能性のある読者(あるいは視聴者)は、 このような洗脳的戦略的偏向報道をしてくるメディアを、 見切ってしまうことも必要かもしれない。
情報は単なるバイアスだけではなく戦略的要素が濃くなっているので簡単に真実を見極めるのはもはや困難なのかもしれない。

あまりの勝手な振る舞いにもし政府が言論に介入してくるのが当たり前になってきたらどうなるか。
確実に歴史は繰り返されることになるだろう...


参考資料・・・毎日新聞(1998年2月20日朝刊/大阪13版・29面)「心想」

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